回想潜水録 サブマリンダイブ ― ロタ島 1989年5月 Diver:Ishibiki
私が社会人として初めて給料をもらった場所は、北マリアナ諸島の小さな島「ロタ島」でした。
当時の仕事は、潜水艇の操縦士。
“潜水艦”というより、定員3名の小さな小さな潜水艇です。
映画『Abyss(アビス)』に登場する小型潜水艇がありますが、私が乗っていたのも、あれと同じアメリカ・ペリー社製の「PC型」。
機体は「PC-1201型」でした。
(写真:小さな小さな潜水艇。ですが、今の自分の土台を作ってくれた大きな出会いでもありました。)
もともとは油田開発用として作られた本格的な潜水艇で、勤務していた会社が観光用として導入したものです。
価格は当時の金額で、たしか1億数千万円だったと記憶しています。
最大耐圧深度は1000m。
最長潜水可能時間は7日間。
小さな見た目とは裏腹に、とんでもなく頑丈な潜水艇でした。
通常の観光潜航では、水深80〜100mを約50分。
テレビ局や雑誌の撮影になると、3〜4時間半かけて水深300mまで潜ることもありました。
初めて潜水艇に乗ったお客様は、みんな口を揃えて、
「狭いですねぇ!」
と言います。
でも、初めて乗り込んだ当時の私が思ったのは別のことでした。
「……この計器、全部使わないと動かないのか?」
(写真:計器だらけの艦内。初めて見たときは、本気で頭が痛くなりました。)
当時の私は20歳そこそこ。
勢いだけは誰にも負けないと思っている、生意気な若造でした。
そんな私に、アメリカ人パイロットが笑顔で渡してきたのが、巨大なバインダー2冊。
その表紙に書かれていたのは、
“Submarine Operation Manual”
もちろん中身はすべて英語です。
厚さは広辞苑2冊分ほど。
丸1日かかっても2ページほどしか読めず、理解できたのも3分の1程度でした。
小生意気な若造も、その時ばかりは、
「この潜水艇に、自分が人を乗せて潜るのか…」
と、かなり気分が沈んだのを覚えています。
この潜水艇は、パイロット1人に乗客2名という小さな潜水艇でした。
自分が操縦している時は、海の中で判断するのは自分ひとり。
何かあっても、誰かに相談できるような環境ではありません。
今思えば、よくあんな若さでやっていたなと思います。
(写真:この頃20歳そこそこ。イキッてますねー。)
普通のダイバーでは到底行くことのできない深度。
もし何かあった場合は、グアムのアメリカ軍潜水艦が救助に来る。。。
そう聞かされれば、不安になるのも当然でした。
そんな潜水艇生活を2年以上続けたことで、たくさんの思い出と一緒に、多くのことを学びました。
飛行機のコックピットのような計器類に囲まれながら、潜水艇は通常のダイバーでは行くことのできない深度へ潜っていきます。
そこは、トラブルが起きてもすぐに助けが来るような世界ではありません。
水深100mでメインプロペラが停止したこともありました。
また、海は穏やかに見えていても、一瞬で表情を変えることがあります。
強い潮流に巻かれた時のことは、今でもよく覚えています。
潜水艇のメインプロペラの出力ボリュームには「70%」の位置に印が付けられていて、それ以上はモーターのブラシが飛ぶ危険があるため、「絶対に無理をするな」と教えられていました。
通常のオペレーションでは45%までの出力で充分。50%以上に上げることは、ごくごく稀でした。
ですが、その時は出力を上げても潜水艇が流されて、気が付けば初めて70%を超えていました。
今まで聞いたことのない重低音の「ウウォォーーーン…」というモーター音が艦内に響き始めます。
それでも流れに負けるので、恐る恐る80%、90%とボリュームを上げていきます。
「これ以上回して大丈夫なのか…?」
「ブラシが飛ぶんじゃないか…?」
そんなことを考えても、出力を戻せば一気に潮流に持っていかれてしまう。
かといって、ブラシが飛べばメインプロペラは止まり、潜水艇はそのまま激流の中で為す術を失います。
操縦桿を握りしめながら、流されないように必死に出力ボリュームを調整していました。
若い頃というのは不思議なもので、知らないからこそ飛び込める強さがあります。
ですが、海の世界は勢いだけでは通用しないことも教えてくれました。
海で働くということ。
人を水中世界へ案内するということ。
そして、「無事に帰ってくること」の大切さ。
人生100年時代と言われる今、50代になり折り返し地点を回ってもなお、こうして海の仕事を続けられているのは、若い頃に潜水艇で経験した海の怖さや、慎重さ、安全への意識を叩き込まれた経験があるからなのかもしれません。
普通では見ることのできない景色の中で、私はたくさんのことを学ばせてもらいました。











